ロンドン五輪メダリストの寺川綾さんのお話しを聞いてきました
スギテック東京からの更新です。昨日、東京都中小建設業協会の第44回通常総会があり、ロンドン五輪メダリストでもあるミズノ株式会社の寺川綾さんの講演があるということで、参加させていただきました。
~寺川さんの略歴については以下~
2004年のアテネ五輪では8位に入賞。4年後の2008年の北京五輪は残念ながら出場を逃しましたが、「もう一度世界で戦いたい」という思いからそこであきらめず、平井伯昌コーチの指導もあり努力を重ね、日本選手権で三冠、世界選手権銀メダル、そしてロンドン五輪での銅メダル。素晴らしい結果を残されてきています。
あきらめなければ願いが叶うとは限らない...しかし
「あきらめたらそこで試合終了です」は有名な某マンガのセリフですが、全くもってその通りですね。やらなくなったら結果など出る訳もなく...
よくあの人は運動神経が良いから…頭がいいから…という言葉を耳にすることがあると思いますが、基本的に人が持っている能力の差ってはそんなに大きいものではないと思います。
本当の努力って??
じゃあ何で差がつくのか?それは単純にやることに関して結果が得られるまで続けられたかどうか。「才能がないから」とあきらめてしまうことで「試合終了」になっているケースがほとんどでしょう。
努力という言葉は一般的には、自分には難しいことでも頑張ってやっていればできるようになる。という自分に厳しく鞭を打つようなイメージですが、それもひとつの努力ではあります。
でも私が個人的に思うのは努力にも2種類あって、上記のような鞭打つ努力と、人から見て「すごく頑張ってるな~」「努力ハンパないなぁ~」と言われてても、当の本人は別に自然に好きでやってるだけで、それを努力とも何とも思ってない。私はこれこそが本物の努力という物の正体だと思っています。
歴史上の大きな発明をした偉人も、好きなことを追及した結果ではないでしょうか?「これめっちゃ嫌いやねんけど、嫌々でも発明したるで!」という人は絶対にいなかったはず笑
自分で納得していないのに嫌々でもやるということは、見返りを求めているということ。対価を求める時点でそれは取引と同じです。
寺川綾さんの場合、自分の大好きな水泳でもっとタイムを縮めたい!勝ちたい!という想いが原動力になっていたのだと思います。
おそらく、寺川さんご自身は「私はこんなにも頑張ってる努力してる!」と自身では思っていなかったのではないでしょうか?だからこそ銅メダルを獲得した後のコメントで「順位もメダルの色も、目指していたものとは違いましたけれど、うれしいです」と充実した、晴れやかな表情で言えたのだと思います。
努力に見返りを求めるとダメだった場合に、その矛先は外に向くことが往々にしてあります。
自分の好きな事、自然にできる事、という事が大前提ということですね。誰でも好きな事であればそれは自然とできているものです。それで結果的にダメだったとしても、自分自身が納得できるし、そこから大きく得るものは必ずあると思います。
思い起こしてみると納得するかも?
今までの人生で頑張る局面がいくつもあったと思いますが「自分は一体何のためにこれをやっているのか?」「自分が頑張っている理由って何?」これを思い起こした時に、それが自分の好きな事であればあるほど、楽にできていたり楽しかったりしたと思うのですがいかがでしょうか?
この講演で、そのロンドン五輪の銅メダルを触らせていただきました。それはそれまでの寺川さんの水泳人生の結晶でもあり、当時の思いも詰まった非常に輝かしく、重みのあるものでした!貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました!